「暮しの手帖」の随筆コーナーにて、短いエッセイを書きました。
2021年3月に亡くなられたグラフィックデザイナーの平野甲賀さんのことを思い出しながら、
写真の不思議さと絡めて執筆しました。
平野甲賀さんのこと

 装丁家・グラフィックデザイナーの平野甲賀さんと初めてお会いしたのは2017年、京都dddギャラリーで甲賀さんの展覧会が開催された折のこと。その撮影を僕が任されたことがきっかけだった。
 甲賀さんは、1960年台初頭から独特の描き文字を用いて7000冊以上の装丁を手がけてきた、伝説的な装丁家だ。しかし僕にとっては、沢木耕太郎の「深夜特急」や椎名誠の「哀愁の町に霧が降るのだ」など、大学時代に貪るように読んだ本の装丁を手がけた憧れの人、という個人的な想いが多分に含まれる人物だった。
 だから「この人があの平野甲賀か」と仰ぎ見るような気持ちで対面したことを、今でも鮮明に覚えている。まるで山奥から突如現れた仙人のように超然とした雰囲気をまとったその人は、白い髭を生やし、丸眼鏡をかけ、麦わら帽子を被っていた。
「フリーでやっているの?」
「はい、そうです」
「フリーの写真家は大変だろ」
「大変ですね」
 ポツリポツリとそんなやり取りをしながら、椅子に座った甲賀さんを一枚一枚丁寧に撮っていった。終始穏やかで、時折笑顔も見せてくれたのだが、丸眼鏡の奥の眼だけはギラギラと険しく、ファインダー越しに目が合うとギクリとした。
 撮影し終わって、今しがた撮ったばかりの写真をモニターで見せると、「いい遺影写真ができたな」と、笑っていた。
 このことがきっかけで甲賀さんと奥様の公子さんと仲良くさせてもらい、お二人が住んでいた高松に家族で遊びに行かせてもらったりしたのだが、今年の3月22日に甲賀さんは突然帰らぬ人となった。82歳だった。調子が良くないと伝え聞いていたとはいえ、大きな衝撃を受けた。しかしそれと同じくらい驚いたのが、新聞の訃報記事を見た時だ。なんと甲賀さんの近影として掲載されていた写真は、4年前、僕が撮った一枚だったのだ。
 甲賀さんが椅子に座ってこちらをじっと見つめているモノクロ写真。4年前のあの日、確かに僕が写した写真。あの時、甲賀さんは「いい遺影写真ができたな」と冗談まじりに言っていたけれど、本当にこんな形で写真が使われるなんて、考えもしなかった。
 ただ一つだけ確実に言えるのは、写真の中に佇んでいるその人はもうこの世にはいないという事実と、しかしかつてここにいて、僕という人間と見つめ合ったという事実だった。
 その事実は、写真というものが時間の経過とともに当初の目的から離れて変容し、予想もしなかった視座と意味をしばしば僕たちに与えるということを、改めて教えてくれるようだった。
 もう二度と会えなくなってしまった寂しさと、わずかでも同じ時間を共有した暖かさを感じながら、四角いフレームの中に収まった甲賀さんの姿を長い間じっと見つめた。

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