吉田亮人アーティストブック限定49部写真集「The Dialogue of Two」
◎ページ数 : 220ページ
◎サイズ(外箱) : 255 x 178 mm
◎サイズ(本文) : 234 x 165 mm
◎制作限定数:49部(全エディション署名入り)
◎編集・印刷・製本・箱制作 / 吉田亮人
◎アートディレクション・英訳 / 後藤由美
◎コラボレーション / Reminders Photography Stronghold
◎2022年11月18日刊行
◎発行 / Three Books
◎ページ数 : 220ページ
◎サイズ(外箱) : 255 x 178 mm
◎サイズ(本文) : 234 x 165 mm
◎制作限定数:49部(全エディション署名入り)
◎編集・印刷・製本・箱制作 / 吉田亮人
◎アートディレクション・英訳 / 後藤由美
◎コラボレーション / Reminders Photography Stronghold
◎2022年11月18日刊行
◎発行 / Three Books
「Three Books」は吉田亮人が運営する自主出版レーベルです
2017年、KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭で発表され、国内外で大きな話題と なった「The Absence of Two」(発表時のタイトルは『Falling Leaves』)。
「The Absence of Two」は作者である吉田の祖母(88歳)と、いとこの大輝(23歳)の2人の日常と、大輝の突然の自死によってその日常が終わりを迎えるところまでを描いた作品です。
「The Absence of Two」は作者である吉田の祖母(88歳)と、いとこの大輝(23歳)の2人の日常と、大輝の突然の自死によってその日常が終わりを迎えるところまでを描いた作品です。
本作品「The Dialogue of Two」は大輝がこの世を去った後、一人残された祖母が88歳で亡くなるまでの約2年半を追った写真群で構成されています。
最愛の人間を失った者が死者とどのように向き合い、対話しながら生きていったのかを、吉田の祖母が生前、何度も何度も彼に語って聞かせた「ある話」を軸に写真集に編んだのが本作です。
全て作家本人による手製の「アーティストブック」として49部を制作・販売いたします。
最愛の人間を失った者が死者とどのように向き合い、対話しながら生きていったのかを、吉田の祖母が生前、何度も何度も彼に語って聞かせた「ある話」を軸に写真集に編んだのが本作です。
全て作家本人による手製の「アーティストブック」として49部を制作・販売いたします。
ご予約は東京と京都にてギャラリーを持つ「Reminders Photography Stronghold」が受け付けております。
ご予約ご希望の方は下記の「ご予約受付」ボタンをクリックしてください。
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2023年2月10日をもって、全て完売いたしました!
ありがとうございました!
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九州は宮崎県国富町。
この小さな田舎町に当時83歳になる私の祖母と23歳になるいとこの大輝が共に生きていました。
大輝は幼少時より祖母と同じ家、同じ部屋で暮らし、大切に育てられてきました。 青年へと成長してからも祖母と離れることなく、2人の暮らしは続きました。
そんな2人の小さな日常を私は家族として、写真家として描写し続けました。
そしてこのストーリーは、そう遠くない将来訪れるであろう祖母の死をもって終わりを迎えるはずでした。 しかし、それはある日突然、本当に何の前触れもなくやってきたのでした。 大輝はその生涯を自ら閉じたのです。23歳でした。
彼のあまりにも早すぎる死を前に私たちに残ったのは、言いようのない悲しみと悔恨の思いでした。
しかし、本当の悲しみは、最愛の孫を失い、一人残された祖母を見た時でした。
この小さな田舎町に当時83歳になる私の祖母と23歳になるいとこの大輝が共に生きていました。
大輝は幼少時より祖母と同じ家、同じ部屋で暮らし、大切に育てられてきました。 青年へと成長してからも祖母と離れることなく、2人の暮らしは続きました。
そんな2人の小さな日常を私は家族として、写真家として描写し続けました。
そしてこのストーリーは、そう遠くない将来訪れるであろう祖母の死をもって終わりを迎えるはずでした。 しかし、それはある日突然、本当に何の前触れもなくやってきたのでした。 大輝はその生涯を自ら閉じたのです。23歳でした。
彼のあまりにも早すぎる死を前に私たちに残ったのは、言いようのない悲しみと悔恨の思いでした。
しかし、本当の悲しみは、最愛の孫を失い、一人残された祖母を見た時でした。
「もう生きてる意味なんかねえ。はよ、向こうに行きてえ」
毎日のようにそう呟く祖母の喪失感と絶望感は筆舌に尽くし難いものだったに違いありません。 私はその姿にカメラを向けて、悲しみを打ち払うようにシャッターを切り続けることしかできませんでした。 そんな祖母が窓辺に立ちすくんで、ぼうっと外を眺めていることが多くなってきたのはいつ頃からだったでしょう。
同時に私に何度も語って聞かせることになる「ある話」が出てきたのもこの頃でした。
それは「大輝が昨晩帰ってきた」というものでした。 まるで本当にあった出来事のように、その経緯を詳細まで語り、最後に必ず「夢じゃな い。大輝はここに帰ってきた。確かにここに」と言って終わるこの話を私は何度聞いたことでしょう。 その度に私の胸中は言葉にできない複雑な想いでいっぱいになるのでした。
そうやって大輝が不在となってから約2年半後の2016年11月18日。 祖母は88年の生涯を静かに閉じました。
毎日のようにそう呟く祖母の喪失感と絶望感は筆舌に尽くし難いものだったに違いありません。 私はその姿にカメラを向けて、悲しみを打ち払うようにシャッターを切り続けることしかできませんでした。 そんな祖母が窓辺に立ちすくんで、ぼうっと外を眺めていることが多くなってきたのはいつ頃からだったでしょう。
同時に私に何度も語って聞かせることになる「ある話」が出てきたのもこの頃でした。
それは「大輝が昨晩帰ってきた」というものでした。 まるで本当にあった出来事のように、その経緯を詳細まで語り、最後に必ず「夢じゃな い。大輝はここに帰ってきた。確かにここに」と言って終わるこの話を私は何度聞いたことでしょう。 その度に私の胸中は言葉にできない複雑な想いでいっぱいになるのでした。
そうやって大輝が不在となってから約2年半後の2016年11月18日。 祖母は88年の生涯を静かに閉じました。
最愛の人間を失ってからもその存在を誰よりも側に感じ続けた祖母。
その悲しみの深さと、祖母と大輝双方に流れる愛の深さを、手元に残された幾葉もの写真を手繰り寄せ、紡いでみようと思います。
その悲しみの深さと、祖母と大輝双方に流れる愛の深さを、手元に残された幾葉もの写真を手繰り寄せ、紡いでみようと思います。